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2011年11月30日 (水)

滋賀県が隠してきた原発関連資料

http://www3.ocn.ne.jp/~jcpshiga/seisaku.htm滋賀県党のあゆみ-日本共産党滋賀県委員会です。)是非見ていただきたい。

2011年11月29日 (火)

いのちとくらしを守る大津市政をつくる会演説会

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12月10日(土)午後2時からです。

沢山の方々のお越しをお持ちしています。

 大津市長選挙に出馬を予定していた山下氏が11月20日、出馬を断念した。我が方の第一ラウンドの勝利だ。
 越氏が出馬を明らかにしても動じなかったが、18日にひがし昌子さんが出馬の記者発表をして翌々日の出馬断念だから。

 役所内には密かに「目片退陣、新たな市長」期待論があるやなしや、いろいろな情報が入ってきている。今日、12月市議会定例会が開かれ、提案説明・所信表明で3選出馬を明らかにしたが。穏やかではないようだ。

2011年11月28日 (月)

スキー板ワックス講習会

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 スキークラブ「雪」の11月例会は、スキー板ワックス講習会でした。もう3週間もすれば各地からスキー場開きの頼りだ発信されるとき。時宜にかなった例会でした。(ただ前夜は、例の「グルメクラブ」らしく、総勢20人の手巻き寿司パーティー。そしてこの日の昼は八木家の自家製パスタ)。
 ワックスの手順は。

       スキー板のワックスについて

 ゲレンデで滑った後の板の滑走面には古いワックスや汚れ、酸化膜がついていたりケバだったりしている。これらを取り除くために行うのがクリーニングワックス。ちなみに新しい板やストラクチャーを入れたての板もケバ立ったりストラクチャーの角が立っていたりするので角やケバ立ちを取り除いた方が良い。 

クリーニングワックスの手順
 スチールブラシ又はブロンズブラシをかけ、(10分ぐらい)ファイバーテックスをかける。これにより古いワックス、汚れ、酸化膜、ストラクチャーの角、ケバ立ちを取り除く。
 アイロンでワックスを半溶かしにしながら滑走面にまんべんなく塗る。
③ ワックスが足りないところを溶かしてたらす。
④ ワックスペーパーをはさんでアイロンをかける。
※滑走面を溶かさないように、素早く動かす。一度で解けなくても何度もかけて徐々に溶かしてしみこませる。トップの裏から板を触ってみて、お風呂の温度(40度)くらいになって滑走面のワックスもきれいに溶けていればオッケー!!(60度を超えると板が壊れるよ。)
⑤ 暖かいうちにスクレーパーでワックスをはぎ取る。(ワックスが出なくなるまで)
 ※スクレーパーはしっかり目立てをして、力を入れすぎずに動かす。
⑥ 続けてブロンズブラシで磨く。ストラクチャー内の汚れやワックスが取り除ける。
 滑走面は暖かいと表面が開いていて温度が低くなるとそれが閉じていく。暖かくて滑走面が開いているうちに⑤、⑥を行うことで、奥の方の汚れや古いワックスも取り除くことが出来る。
ベース作りと滑走ワックスの場合
②~④まではクリーニングワックスと同じ。
 板が十分に冷えてからスクレーパーでワックスをはぎ取る。
 ※スクレーパーはしっかり目立てをして、力を入れすぎずに動かす。
⑥ ナイロン又はボアブラシをかける。(ストラクチャー内の余分なワックスをかき出す。)
 馬毛ブラシでブラッシング。
 フィニッシュクロスでさっと拭き静電気を取り除く。
ワックスと滑走面のお話。
 クリーニングワックスは暖かい時用のベースワックスを使うのが良い。暖かい時用のワックスは低い温度で溶けて、固まりにくいので滑走面の奥の汚れをかき出しやすい。
 ワックスは熱で開いた滑走面が冷えて閉じることで定着する。滑っているとそれが摩擦で少しずつしみ出てくる。これによりスムーズに滑ることが出来る。
 滑走面は冷えるとどんどん閉じてくるので、暖かいところではがしても寒いところに持って行くとさらに閉じていきワックスがしみ出てきてしまう。するとそこに雪が刺さって摩擦が生じ、滑らなくなってしまう。だからレースの時などは現地で一度板を雪に埋めて冷やして、しみ出てきたワックスをしっかリスクレイプし、馬毛ブラシをかけるべし!!これはどんなワックスでも(ホットワックスでもペーストワックスでもスプレーワックスでも)同じ。ワックスのはぎ残しは、例えばレースで1㎞滑ると秒単位で差が出ることも…あるそうだ。ワックスの選択を間違えるよりはぎ残しの方がイタイということ。
 柔らかいワックス(暖かい時用)は固いワックス(寒い時用)より溶けやすくしみ込みやすい。だからベース作りの際には暖かい時用のワックスからかけて奥までしみ込ませてから寒い時用のワックスをかける。そうすると奥までしみ込んだワックスと液体同士で循環することで固いワックスもしっかりしみ込ませることが出来る。
 レースの時はこうしてベースをしっかり作った後に滑走ワックスをぬることで、しっかり結合するので、はがれにくくなる。(SWIXサービスマンの話より作成)

2011年11月27日 (日)

医師・膳所診療所所長 ひがし 昌子氏デビュー街頭演説会

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 2012年1月22日投票の大津市長選挙に「いのちとくらしを守る大津市政をつくる会」の候補者として立候補を予定している膳所診療所所長 ひがし昌子氏のデビューの街頭演説会がJR膳所駅前で行われ、支持者や通りがかりの市民の方々200人近くがひがし昌子氏の訴えに聞き入りました。

 この街頭演説会では、弁護士:吉原稔氏、新日本婦人の会大津支部:菅沼かおり氏、介護現場職員:滝沢しげのぶ氏、市議会議員:黄野瀬明子氏がそれぞれの立場からひがし昌子氏への支援を訴えました。

 

2011年11月26日 (土)

復興財源は大企業の潤沢な内部留保で

 「大災害から復興、すなわち損失がいかに補填されるかは、マルクスの社会的再生産ならびに素材的視点からする保険ファンド論によれば、それぞれの歴史時代が物質的に達成している剰余生産物の量に規定されます。つまり生産力を無制限的に発展させる歴史的傾向をもつ資本主義経済は、それに先行するいかなる社会と比べても大震災等に対する復旧・復興力を潜在的に備えているのです。しかも、先進資本主義諸国のなかでも先頭集団に位置する日本が、被災者を救済し、被災地を復旧させるに足る社会的余剰、すなわち拡大再生産のための余剰生産手段・余剰消費手段を十分に備えていることは自明であるといえます」

 この文章は雑誌「経済」(新日本出版)11月号の座談会「3.11で露呈した日本資本主義の矛盾」の中での、米田貢中央大学教授の発言から引用しました。

 日本共産党は、東日本大震災の復興財源については「余剰資金を抱える大企業、大資産家に引き受けを求めるべきだ」と理にかなった主張している。

 

 

2011年11月25日 (金)

お役所仕事

 「いのちとくらしを守る大津市政をつくる会」の仕事で、公立ホールの予約をしようと、2・3の管理者に、電話で予約の相談をすると、予約は「1ヶ月前」とか「2ヶ月前」でないとダメとのこと。理由は「舞台装置の都合上」らしい。空いてもダメだそうだ。

 収容人員500人ないし1000人規模のホール。様々な団体が必要としています。かつて生涯学習センターや北部文化センターの建設時期に、500人規模のホールの必要性と建設が市議会でもかなり議論された。

 さて、空いていても申込期限(一定の基準とは思うが)後の申込を一律の断る事に釈然としない。それぞれの団体が期限後の企画で一定規模の集会場が必要な場合も当然あるだろう。柔軟な対応で、施設の利用率を上げることも必要ではないか。

 やっぱり、公立ホールの管理に「お役所仕事」が残っているのか。

 

 

2011年11月24日 (木)

東先生で大津市政を「くらしといのちを守る大津市政」に

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 いのちとくらしを守る大津市政の会は18日、2012年1月22日に行われる大津市長選挙に、膳所診療所所長の東昌子医師を擁立することを発表した。
 大津市長選挙は、3・11東日本大震災や東電福島第一原発事故を経験し、あらためて行政のあり方、とりわけ地方自治のあり方が問われる選挙。
 大津市の大半は「福井原発地帯」の80㎞圏内に入り、福島級の原発事故が起これば、多くの市民が住めなくなります。また、TPP参加が決まると大津の米づくりも壊滅的な打撃を受ける。
 大津市民の暮らしは、国保料の滞納率は約16%、就学援助率は小学校、中学校とも約20%、特養ホームの待機者は1200人、生活保護率は約11‰、非正規雇用の拡大は民間だけではなく公務労働にも広がっています。
 そのような中で、大津市政が国や県の言いなりの市政を続けるのか、市民の「いのちと       くらしを守る大津市政」への転換かが大きな争点となります。

 27日(日)午後3時からJR膳所駅前で、東予定候補の街頭宣伝ハツデビュー。
 沢山の人の来聴を。

遅ればせながら

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遅ればせながら、2011年度の永年党員の顕彰式が行われた。1961年中に入党された50年党員、1981年中に入党された30年党員○○人が対象で10数人が参加した。

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 1961年:歴史的国民闘争「60年安保」の翌年。70年代の共産党前進の「礎」を築いた年代。
 1981年:「80年社公政権合意」を元に、徹底した「共産党除き」の始まりの時期。そんな中でも党勢が前進した年代だった。

2011年11月23日 (水)

TPP

 「TPP参加問題も重大です。自動車業界はアメリカの輸入関税が撤廃されて輸出し易くなって大もうけできますが、日本がお米の輸入関税を撤廃すればアメリカ、オーストラリアなどから大量の米が入ってきて、農水省の試算でも、お米の生産減少率は90%、小麦が99%、砂糖やデンプン原料、加工用トマトは100%で、日本の農業、大津市の農業は壊滅的な打撃を受け、農家は立ちゆきません」これは街頭宣伝の一文。

国境措置撤廃による農産物への影響(農水省試算)

品  目   生産減少率%   生産額減少(百億円)

  米       ▲90        ▲197
  小麦       ▲99        ▲8
砂糖原料     ▲100       ▲15
デンプン原料    ▲100       ▲2
こんにゃくいも   ▲90        ▲3
  茶        ▲25        ▲3
加工用トマト     ▲100       ▲3
かんきつ類    ▲9         ▲1
りんご       ▲9         ▲1
牛乳乳製品   ▲56        ▲45
牛肉       ▲75        ▲45
豚肉       ▲70        ▲46
鶏肉       ▲20        ▲19
鶏卵       ▲18        ▲15
その他                 ▲5

計                  4兆1千億円

大変なことだ。

日本自動車工業会の「日本の自動車関税支払額」という資料によれば

                        関税率
輸出先    関税支払額     乗用車  商用車

EU       1,141億円      10%          10%
米国              1,219億円     12.5%         25%
豪州                605億円            15%          15%
カナダ             230億円        16.1%       16.1%

合計      3,195億円(1us$=120円で計算)(2002年自工会「主要国向け輸出統計」より

となっている。極々単純に言えば。米国、豪州への支払い関税額1,824億円のために、農産物4兆1千億円を犠牲にしていいのか。  
  
 

 

 
 
 

 

大津板紙は何億円出したのか?

 11月22日大王製紙前会長が、特別背任容疑で東京地検特捜部に逮捕された。

 子会社から100億円を超える金を出させ、カジノ関連の銀行口座に振り込ませた疑い。

 大津市馬場3丁目・西の庄の住宅街の中に「大津板紙」という、大王製紙の子会社がある。大津高校、平野小学校が市道を挟んで隣接している。我が事務所からも直線距離で100メートル以内、工場からは漉かれたボール紙を乾燥させた蒸気がもうもうと、煙突からガスボイラーからの白い煙が毎日上っている。

 古紙を原料にして段ボール用のボール紙を作っているのだが、地域住民が悩まされているのが、悪臭と汚濁された排水。

 製紙業は大量の水を使い、排水している。大津板紙は琵琶湖から取水し、総門川(川とは言い、事実上は板紙の排水路)から琵琶湖へ。

 排水処理に相当の投資をし、環境基準以下になっているとは言え、当ブログ「総門川」にあるように「汚染」の事実は明白。

 悪臭も、特に夏場は窓も開けられない。ひどいときは昔のトイレ臭(いわゆる、ぼっとん便所の臭い)。

 さて、大津板紙はカジノの口座にいくら振り込んだのか?まさに、そんな「どぶに捨てるような金があったら、悪臭対策、排水のさらなる浄化対策に使え」と言いたい。

 

2011年11月19日 (土)

アップルパイ

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下:焼き上がったアップルパイ

上:2枚目のアップルパイ。レンジに入れる準備が出来た


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 育と司合作のアップルパイ。故あってリンゴを大量に入手。ケーキ用には紅玉が良いらしいが、紅玉と他の種類も混在しているようだが、2人の腕も上がりケーキ屋で売ってある以上の出来映えに、みんなで美味しい、美味しいを連発しながら味わった。

カンナとノミ

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 見れば分かる。今の家も18年目、あちこちがガタが来ている。木製ドアーの修理のために小型のカンナとノミを仕入れて無事キチンと閉まるようになった。2千円ほどの「投資」だが建具屋さんにお願いするよりも利口に出来た。カンナとノミはまだまだ使いどころあり。


2011年11月17日 (木)

「への字」屋根

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大津市西の庄に残っている「への字」屋根。

2011年11月16日 (水)

中二階

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 旧東海道沿いの古民家。中二階建てと言われ、旧東海道を歩いているとよく見かける建物(でも最近は改築が進み少なくなった。)京町二丁目で。

 いわれは、大名が行き来する東海道。二階から大名を見下ろせないようにしたそうだ。

 膳所の街では①中二階建て民家。②への字屋根。③山元姓名、と言う「膳所の3不思議」がある。

 ①中二階は先に書いたとおり。

 ②屋根の形が(基本的には)街道に面した方が、反対側よりも桁数が多く、側面から見ると、「への字」に見える。

  これは、膳所藩が京都御所の「火守番」であったために火事が起きても延焼を防ぐために、瓦屋根を推奨し、瓦に葺き替えに際して、藩が「補助金」を出したそうで、その補助金を沢山もらおうと、屋根の形を「への字」にしたそうだ。

 もう一説は。街道沿いの家を大きく見せようとの工夫とも言われている。

 ③山元姓は、名字帯刀を許された者が「山本」を名乗ろうとしたが、膳所城主「本田」と同じ文字は「御法度」だったようで「山本」を「山元」としたようだ。膳所には山元さんが沢山いる。

 膳所の街には、まだまだ身近に歴史を感じさせるものがいろいろある。続きをお待ちください。

2011年11月15日 (火)

富士見・石山9条の会合同例会。

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京町2丁目にある「露国皇太子遭難の碑」と説明書(下)

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 13日、「富士見9条の会」と「石山9条の会」の交流を兼ねた史跡探訪会に参加した。

JR大津駅から、地下通路を通って国道側の「吾妻川」へ。昔京都からの旅人が「逢坂山を越えて吾妻川を見て京都との別れを実感し、水杯を交わした」との事。

  吾妻川を知事公舎までたどり、京町2丁目の「露国皇太子遭難の碑」、浜大津の大津城跡へ。

 かつての坂本城下の町名が大津城下に移されたことや、京極高次(初の夫)が大津城で10日籠城戦を闘ったことなど、の説明を大河ドラマ「お江」と重ね合わせて納得。

 「吾妻川、もみじ流して におのうみ」。これは史跡探訪後の昼食会で、参加者全員が俳句を詠むことにんなり「吾妻川 落ち葉流して びわこまで」と詠んだが、「吾妻川、もみじ流して におのうみ」の方がよいか?

 総勢20人の史跡探訪会、最高齢は富士見9条の会会長S氏80歳を越えている。


国民救援会滋賀県本部第33回定期大会

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写真は、開会あいさつの中野会長

 国民救援会滋賀県本部第33回定期大会が11月12日、滋賀弁護士会館の大会議室で開催されました。

 大津市のKさんから、痴漢えん罪事件(京都地裁で無実を勝ち取るため裁判闘争中)の経過報告と、支援の訴えをされた。

 被害女子高校生は、警察で10枚ほどの男性の顔写真を見せられて躊躇なく、ひげ面のK氏の写真を指さしたらしい。ところが犯行日とされる日に、K氏はひげ面でなかったことが、当日の写真等で証明されているとのこと。

 K氏は全く善良な一市民。なぜ、警察はK氏をでっち上げなければならなかったのか?普通の生活をしていても、警察(権力)の手でいつ犯罪者にされるか分からない恐ろしさを感じる。

 かつて、総選挙時にビラ配布中の市民が「戸別訪問」と言いがかりを付けられて、現場で任意での事情聴取進行中に、国民救援会大津支部は直ちに「任意の聴取に応じる必要なし」と事情聴取をやめさせて帰宅させた経験がある。帰宅途中パトカーと数台の警察車両とすれ違った、数分遅れていたら大変な事態になっていたかもしれなかった。

 Kさんの経過を聞いていて、もし、Kさんが救援会員で「弾圧の心得」を一読されていたら、事件は防止出来ていたかもしれない。 

 


2011年11月11日 (金)

久しぶりJR膳所駅

 久しぶりに(7ヶ月ぶり)JR膳所駅でビラ配布をした。配布したのはTPP交渉参加断固反対を訴えるビラだ。

 現職中の顔なじみの多くの方々から「お元気でしたか?」と声をかけていただき感激した。

もちろん、髭のことが話題に。元市幹部職員(女性)の方が「私も今は嘱託、服装を気にすることなく出勤できる」とGパン姿だった。現職中はいつもすかっと、清楚な服装だった。

2011年11月10日 (木)

我が家の果樹園?

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我が家の枇杷の木に、今年も花が。

’94秋、今の家に転居し、翌年頃に食べた枇杷の種から、今では4M近い高木に。いつの頃からか毎年花を咲かせ、実がなり、今年も20個ほど収穫しました。実はあまり大きくはありませんが美味しい枇杷でした。

 来年実をつける頃には、摘果・袋かけをきちんとしてみたいと思っています。お裾分けが出来るようになれば・・・・・・。

2011年11月 6日 (日)

2011春秋楽座

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 5日は、2009年10月に続いて、2回目の「橫井久美子の春秋楽座」(マイク、スピーカーを使わず、声の届く範囲の小規模のコンサート)でした。会場は前回と同じ妙福寺さんの本堂をお借りしました。

 写真は原発問題でのトーク風景です。

 古い写真を整理していると、1960年代後半の写真の中に関電大飯原発建設中の、圧力容器がはっきりと映っている写真(海側からの)があった。陸路では決して撮れなかったと思うが、海からは工事現場は丸見えだった。まさに「安全神話」のもとで、今思えば無防備な現場だった(当たらずとも遠からず)のでは?。

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